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意識の濃淡は臨場感の差

・100m
・栗田式
・苫米地式



・ウーバーは忙しいときとそうでない時の差が激しすぎる(´・ω・`)


・まだ微妙に動かしやすい。おでんがクソ売れてそうな雰囲気。早朝はおじいちゃんたちのガヤガヤの横で走るw


・バスケやダーツのイメトレの論文はたくさんある。記憶の貼り付けでどうとでも。いくらでも可能性が。

しかし60年だ70年代からこれだけ研究がなされていたのに、単純な筋トレやバーベル器具のようなもの、ストレッチングなどばかりがこれだけ広まっているのには非常に違和感がある。スポーツドリンク砂糖水が流行った経緯とか、美容液が流行った経緯とか、順をたどってみていくと色々ありそう。姿勢だってたどっていくと、明治維新あたりに何かあるという話だが、もっと太古の昔はさらに別の姿勢だったろう。

大元は中国とかと同じなのかな?

とある民族では内臓の大きさが肥大するとか。
水深60mに10分素潜り 驚異の漂海民族にDNA変異

個人的には飛脚が特異体質だったとは考えにくい。技術が子々孫々できれば、あるいは。

というかその結果我々がいるともいえる。技術というより文化かな。

なぜゴールからなのか?は、ここらへんの文化との兼ね合いの問題解決が含まれるから。技術が先だと"場合によっては脱洗脳"に対処できない。その分、時間かかるかもしれないけど。ま、でも技術トレーニングや筋力トレーニングに勤しむのも、またよし。他人は他人。

男性と女性では女性は胸の意識が濃い。これは意識の臨場感の問題だが「拳の背面で扉を開ける訓練をしていればそれもできるよる」わけで、意識の濃さ問題は面白い。濃さは臨場感であり潜在意識下、女性が常に胸を意識しているわけではない。というわけでここらへんは本当に面白い。

Googleと図書館、そして受験勉強と潜在意識

・100m
・栗田式
・苫米地本
・受験勉強について



・FWについてはまた再度整理するつもり。

1まだ書いてないネタ
2調べている最中なので書き直すネタ

の延々繰り返しになりそう。FB制御とFF制御についてまとめたい。


・仮観と空観のLUB


・仙術といったり、気功といったり、イメージの抵抗といったり。色々。


・受験勉強について。

ホリエモンが自信満々なのが面白い。ホリエモンチャンネルか何かで「受験はコツを掴めば楽しくなるからね」と仰っていた。コツを掴んでいる人間からしたら普通。掴んでいない人間は暗闇を延々と泳ぐ感覚になる。方位磁針なしで目的地点を目指す感覚。試験モノに向かいそして失敗する方達につきまとうのはこの「暗闇を延々と歩く感覚」だ。自分がどこを歩いているのかがわからない感覚。

ちょうど今日読み返していた宇都出雅巳さんが著作の中で「どこがわからないかわかっている状態」と「本当に何もわからない状態」とは違うと書かれていた。本当にその通りだと思った。

「わからないからわからない」みたいな状況で、その不安を払拭するために勉強だ!!!(→そしてさらに「わからない」が強まる)みたいになってはいないだろうか?

わからないのは両者同じ。でも差がつく。

完全にどこにどこがあるか理解してあるのだったら、ハナっから現状の内側であり、目指す必要もない。現状の外側のくせに「わかっている」という意味不明状態、なにそれ?そんなことあるの?、答えとしてはある、それが暗黙知(厳密には正しい言い方ではないかも)、ゲシュタルト、フレーム。どこがわからないか、わかっている、広大な海の中で自分がどこを泳いでいるかなんとなく感じる程度は欲しいわけだ。

あとはその海(にあたるもの)がどれだけデカイかだが・・・。


ホリエモンもオリジナリティはないといった体感でやっていると思う。知っている講師側も同じだろう。経験則も大きい。


無意識を使う分野はセコセコと(広々と?)脈々どの分野でも生き残っている。そして常にバカにされているのかもしれない。教えることに関しては昔は一子相伝とかが多かったのではないかと思われる。現代では図書館とGoogleを利用したものが勝つw

一念三千

・100m
・読書
・栗田式と苫米地式



・未来、過去、現在は全て今に内包される。


・伝説的?なエピソードが一人歩きすることは多いが

また、エリクソン自身に
「最もうまくいったセッション」について尋ねてみたところ、200回のセッションをしたクライアントさんとのセッションをエリクソンが挙げた話は有名だ。


という話もある(エリクソン神話

冷静に検証したり、宣伝文句は常に疑ったり、「この人も家に帰れば普通の悩める旦那」の目は常に持っておきたい。